「武士は食わねど高楊枝」の意味とは?意味や使い方を解説!

「武士は食わねど高楊枝」ということわざの意味を解説していきます。覚えておくと便利なことわざです。今回は「武士は食わねど高楊枝」の意味や使い方、例文について解説していきます。  

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武士は食わねど高楊枝

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武士は食わねど高楊枝』』突然の武士の登場に戸惑っている方もいる事でしょう。でも、何となくカッコ良い言葉ですね。

今回は男の美学を感じる、私の座右の銘でもあることわざ『武士は食わねど高楊枝』について、その意味や使い方、例文などをご紹介していきます。
 

「武士は食わねど高楊枝」の意味とは?

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武士は食わねど高楊枝という言葉の意味は、たとえ貧しくて食べるものも食べれない状況であっても、腹一杯食べたかの様に、楊枝を悠々と使って気品高く振る舞う、という事です。
 

この言葉は痩せ我慢をするとか、見栄を張るとか、そういったネガティブな意味合いにも使われますが、本来は武士道にも通ずる、たとえ貧しくも心は気高く、人にみっともない所は見せるなという精神に基づいた言葉です。

吉田拓郎さんの『イメージの詩』という曲の中に出てくる『悲しい涙を流している人は 綺麗なものでしょうね 涙を堪えて笑っている人は 綺麗なものでしょうね』というのも同じ心であると思います。

素直に感情を表に出せる事は、もちろん素晴らしい事です。そして、そんな感情は持ちつつも、ぐっと堪えて笑顔を見せれる人は、本当にカッコいいし、素敵だと思います。
 

「武士は食わねど高楊枝」の使い方・例文

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『目は口ほどに物を言う』のが人間ですが、精一杯に涼しい顔をして『武士は食わねど高楊枝』な男でありたいなんて思っています。例文をご紹介しましょう。

例文

  • 彼はみんなに心配させまいと、そんな素振りはみせなかった。武士は食わねど高楊枝を地でいく男だ。
  • 母はどんなに生活が苦しい時でも、家を綺麗に整え、明るく振る舞ってくれていた。武士は食わねど高楊枝の精神だ。

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