「敵は本能寺にあり」の意味とは?意味や使い方を解説!

「敵は本能寺にあり」ということわざの意味を解説していきます。覚えておくと便利なことわざです。今回は「敵は本能寺にあり」の意味や使い方、例文について解説していきます。  

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敵は本能寺にあり

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「敵は本能寺にあり」

という言葉は明智光秀が「本能寺の変」の際に発した言葉として有名な言葉です。

現在では、本当の目的・目標は別にあるということをたとえる言葉として使われています。

この記事では「敵は本能寺にあり」の意味や使い方などをご紹介させていただきます。

「敵は本能寺にあり」の意味とは?

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「敵は本能寺にあり」の意味とは

「敵は本能寺にあり」の意味は本当の目的・目標は別にあるということ、本当の目的を隠しておいて人の目を欺くことのたとえです。

略して「敵は本能寺」とも言うこともあります。

「敵は本能寺」の由来

「敵は本能寺にあり」は、江戸時代中期以後に書かれた軍記物『明智軍記(あけちぐんき)』に書かれた台詞で、戦国時代から安土桃山時代の武将・明智光秀(あけちみつひで)が主君の織田信長を本能寺で討ち取った「本能寺の変」の際に発した言葉として書かれています。

「本能寺の変」とは

1582年6月1日、明智光秀は織田信長に命じられ、1万2千~5千の軍を率いて毛利攻めの援軍に現在の京都府から岡山県へ向かいますが、京都の境を超えたあたりで京都方面へ引き返します。

この時、京都の本能寺で開かれる茶会に出席していた織田信長が100名ほどの兵しか連れていなかったので、謀反を起こすには絶好の機会だったのです。
明智光秀は、織田信長を討つことを事前に家臣の斎藤利三(さいとうとしみつ)にしか言っておらず、兵士達も直前までどこで誰と戦うのか知らされていませんでした。味方にも本当の目的を隠しておき、織田側に裏切りの情報が漏れないように細心の注意を払ったようです。

1582年6月2日、明智光秀の裏切りを知った織田信長は応戦しますが、敗戦濃厚となると自ら本能寺に火をつけて自害しました。

これが、いわゆる「本能寺の変」その13日後に、明智光秀は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に討ち取られ、あまりにも短い期間だけしか権力が続かなかったことから
「三日天下(みっかでんか)」と呼ばれるようになりました。

「敵は本能寺にあり」の使い方・例文

__keyword__を使った例文をいくつかご紹介させていただきます。

例文

  • 例文 「敵は本能寺にあり」の類語には「移花接木」「敵本主義」などがあります。
  • 例文 何をやっても三日坊主の妻がアルバイトだけ熱心に続けていたため不思議だなと、息子に聞いてみたところ敵は本能寺にありで。バイト先で浮気に熱を上げていたようだ。

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