「泥中の蓮」の意味とは?意味や使い方を解説!

「泥中の蓮」ということわざの意味を解説していきます。覚えておくと便利なことわざです。今回は「泥中の蓮」の意味や使い方、例文について解説していきます。 

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泥中の蓮

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「泥中の蓮」とは

あまり耳にしないことわざですが、何となく深い意味がありそうですよね。

普段使わない言葉でも、知識として持っているといざという時に役立ちます。

今回は「泥中の蓮」の意味や使い方をご紹介しますので、ぜひ最後まで読んでいってくださいね。

「泥中の蓮」の意味とは?

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「泥中の蓮」の意味

「泥中の蓮」は「良くない環境にいても、それに染まらず正しく生きること」を表す言葉です。
ちなみに「泥中」は「でいちゅう」と読みます。
「どろなか」ではありませんので注意してください。

蓮の花は、濁った「泥」の上にしか花を咲かせません。
にも関わらず咲かせる花は非常に美しく、泥の上にあることを忘れさせます。

蓮の花と同じように汚い泥のような環境にあっても、美しく正しく生きることを表現したのが「泥中の蓮」という言葉です。


「泥中の蓮」の由来は、仏教の逸話です。
蓮はもともと仏教を象徴する花であると考えられており、お釈迦様が座る場所としても用いられています。

「維摩経」という書物の一節に「身は泥中の蓮華」という言葉があるのですが、これが「泥中の蓮」という考え方のもとになっているそうです。

「泥中の蓮」の対義語として「朱に交われば赤くなる」があります。
こちらは「入って行った環境には馴染むものだ」という意味のことわざですが、「泥中の蓮」なのか「朱に交われば赤くなる」のかは、自身の心が決めるということでしょう。

「泥中の蓮」の使い方・例文

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「泥中の蓮」を使った例文をご紹介いたします。

例文

  • どのような環境にあっても自分の軸を見失ってはいけない。
    「泥中の蓮」のように生きていきなさい。
  • どのような環境でも凛とした態度の彼女は、まさに泥中の蓮だ。

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